
○世界で最も美しいといわれる「パドヴァ大学」の解剖学教室○
旅をしている気分を味わえる動画をご覧ください。
ヨーロッパのカトリック教会では、基本的に解剖を禁止していました。
しかし、人文主義を謳歌し始めた中世末期になると、2月のカーニバルの時期に各地の大学が「公開解剖」を行うようになります。
これはまず、極寒の季節ならば遺体の腐敗が防げたという理由があり、次にカーニバルの時期は、教会法に反することをしても比較的寛容に受け入れられた、という習慣があったからだそうです。
1531年、ローマ法王庁は許可を得ていない解剖を行うことを正式に禁じました。
しかし、許可を得て解剖を行う場合は、あらかじめそれを公表し、できるだけ多くの医学関係者が見学できるようにと通告しています。また、見学者は見学料を払う義務があったのですが、そのお金は貧しい者たちの救済に使うべし、とも謳っているのです。
1594年、世界で最も美しいといわれるパドヴァ大学の解剖学教室が完成しました。
設計をしたのは、建築家ではありません。当時の解剖学の権威といわれたジローラモ・ファブリチ・ディ・アクアペンデンンテという人でした。レオナルド・ダ・ヴィンチは万能の天才と呼ばれているように、ルネサンスの時代には学問の分野に境界線はなく、才能ある人はあらゆる分野で活躍していたことがわかります。
6層からなる美しいパドヴァ大学の解剖学教室は、その後、ヨーロッパの医学部がこぞって模倣したことでも知られています。
1597年にはフランスのモンペリエとオランダのライデンで、パドヴァ大学をモデルにした解剖教室が作られました。
これに続いて、1631年にはボローニャ、また1643年にはコペンハーゲンにも解剖教室ができました。
パドヴァ大学の解剖学教室は、現在もその美しい姿をそのまま残しています。ルネサンス時代の美のセンスが、医学の分野にまで波及した幸運な例といえるでしょう。
■6層構造の姿が分かりやすい動画
■パドヴァ大学の解剖学教室
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